オステオパシー


 オステオパシーはアメリカで発祥した医療体系です。140年以上の歴史のあるスタンダードな医学であり、日々発展をしております。

 

 アメリカ、カナダ、ヨーロッパ諸国、オーストラリアなどでは国民に広く認知され多くの方がオステオパシーの治療を受けられております。

 

 日本では、まだまだ知られていないので聞きなれない言葉ではないでしょうか。当院に来られる患者さんからも「オステオパシーってなんですか?」とよく聞かれるくらいです。

 

 

 オステオパシーは1つの医療体系であり、身体全体を1つのユニットとして診るのが特徴といえます。

 

 

 簡単に言えば、肩や膝が痛い時には病院や接骨院ではその場所を詳細に検査し治療をしますが、オステオパシーでは肩や膝を含めた全身を診ていきます。施術するのに必要な場所を見つけ、施術します。

 

 ですので、施術するのに必要な場所はその場所から遠く離れた場所かもしれません。

 

 

  本当に施術が必要な所を見つけ正しく施術が出来たのなら症状が劇的に変わることが多々あります。

 

 

 なぜこのように全身を診ていく必要があるのかと言うと、身体には筋膜を含む「膜」といわれる結合組織があるためです。

 

 「膜」は、筋肉では筋膜、骨では骨膜、内臓では胸膜や腹膜、心膜などと言われ名前が変わるだけで全てが繋がっているためです。この「膜」には血管やリンパなども通っております。

 

 「膜」は、スムーズにお互いが滑ることで円滑な動きが行われます。「膜」に制限があればこの滑りが悪くなり、そこを通る血管や神経の働きを邪魔をします。全身が繋がっているため遠い場所にまで影響を出します。影響が出た場所が本来持っている機能が働きにくくなり、症状を出します。症状と関係無いと思われる場所を施術して症状が変わるのはこのためです。

 

 このように全身を診ていき、施術する場所を見つけ、施術し正常な働きを取り戻します。あとは本来ある母なる力、自然治癒力が働き身体を健康へと導きます。

 

 

   オステオパシーは哲学と解剖学から裏付けされた医療体系です。

 

 テクニックは枝葉の1つにしか過ぎません。また徒手療法にも同じことが言えます。徒手にこだわる必要はなく道具を使うこともあります。

 

 創始者であるA.T.stillはご自身で多くの道具を開発され使われてとされています。

 

 オステオパシーには独自の哲学があり、その哲学に基づいて行われれば、それはオステオパシーです。


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オステオパシーの歴史


 オステオパシーはA.T.Still M.D(オステオパシーの創設者)によって1874年に啓示されました。ギリシャ語で「骨」の「オステオ」と「病」の「パソス」からオステオパシーと名付けられました。

 

 A.T.stillは医師になったあと、 流行り病で実の子を3人も亡くされます。医師でありながら実の子を救えなかったという悲惨で辛い経験をされました。

 

 その経験などから、 同じ病名でも助かる人と助からない人がいる、裕福だから助かるとは限らない、十分な医療や栄養を受けても同じことが言えると 、納めてきた医学に疑問を持つようになりました。

 

 

    そこには何かを見落としているのではないかと。

 

 

 また、Still先生は幼少期の頃に激しい頭痛をお持ちでした。 ブランコで遊ぼうとしたら頭痛に襲われ何とかしようとして頭頚部をブランコに引っ掻けます。そうすると、楽になり気持ちよくそのまま寝てしまいました。起きた頃には頭痛はなくなっていたそうです。それからは、頭痛の度にそれを行われたようです。

 

 父の仕事柄(牧師)、インディアンとの交流があり山で狩りをするのが好きな子どもでした。狩をした動物の解剖をするのが好きで筋膜や骨などをよくみられていました。

 

 これらの経験から、解剖学的な異常から、生理学的な不調がおき、病気になるのではないかと仮説を立てられます。そこで患者さんを診ていくと関節の機能障害や高さの違いなどをみつけていきました。それらを矯正するために関節などのテクニックなどをご自身で生み出されていきました。

 

 また、Still先生は解剖学の知識にも大変長けていました。インディアンのお墓を掘り返し解剖学の観察もされていました。

 

 これらの結果からStill先生は2つの発見されます。

1.身体に無駄なものは無い

2.身体は合理的に出来ている

 

 これらのことから患者さんを治療をしていくと患者さんは大変よくなっていきます。その反面、薬を出さなくなりました。薬は毒だと言われました。(しかし、本当に必要な人だけには出していました。)

 

 その結果、同僚の医師や患者さんから迫害を受けます。(Still先生はおかしくなったとか、悪魔の使いなどと言われるようになります。)患者さんが来なくなり、教鞭をとっていた学校や教会からも追放されます。家族ともに引っ越しを余儀なくされ、 全米に患者を診る旅に出られます。

 

 その後、当時荒野だったミズリー州カークスビルに開業されます。そこへ旅で得た信用から全米から患者が集まってきます。何もなかった荒野に鉄道や駅が出来て、ホテルやレストランも出来ていき、小さなコミュニティーが出来ていきました。

 

 患者さんが多く集まるようになり、一人では診きれず、弟子をとるようになります。 1892年 A.S.O(アメリカン・スクール・オブ・オステオパシー)を設立され、最初は20~30名(一期生は21名)を教えます。

 

 最初は民間人にも教えていたが解剖学を知らないとオステオパシーは出来ない為、途中から医師にしか教えなくなりました。 

 

    A.S.Oはその後、単科大学のKCOM(カークスビル・カレッジ・オブ・オステオパシー・メディスン)となり、現在では、総合大学A.T.Still.Univ/KCOMになっています。オステオパシー大学の世界一難関であり、世界一有名であり、聖地と呼ばれています。

 

  ここには当時のStill先生の建物が残っており、Still先生の治療を受けるために患者さんが通っていた道が「オステオパシーロード」と名前が付き今も残っています。

 

1973年にアメリカではオステオパシードクターにM.D(西洋医学の医師)と同等の地位を与えられ、外科手術も投薬も検査も行えるようになっています。(アメリカのみ認められています。ヨーロッパや日本では認められておりません。)